日本の刺青・和彫り、チカーノやアメリカントラディショナルをはじめ、世界には様々なタトゥーの文化・歴史が存在する。
中でもトライバルタトゥーと称されるものは、今でもその手法や伝統を守り抜く地域があることより、伝統的な観点で言うと異彩を放っている。
今回は、筆者である私が、フィリピンの秘境・カリンガにて、なんと御年100歳のタトゥーアーティストに会い、そこでタトゥーを入れた際の話ができればと思う。
「トライバルタトゥー 手彫りの旅〜カリンガ篇〜」と名付け、そもそもカリンガタトゥーとは?というところから完成の流れまで一挙に公開しよう。
ConTTents
カリンガタトゥー
「トライバルタトゥー手彫りの旅」にて入れてきたタトゥーは”カリンガタトゥー”というものだ。
では最初にカリンガタトゥーとは何なのか?というところからご説明する。
カリンガタトゥーとは
カリンガタトゥーとは、数多く存在するトライバルタトゥーの一種。
フィリピン北部ルソン島のカリンガ州にある、ブスカラン・タトゥーヴィレッジという秘境で行われているタトゥーの文化である。
歴史
トライバルタトゥーの発祥については明確に分かっているわけでないが、カリンガタトゥーが文化として最も発展したのは16世紀前後から。
それ以前のタトゥー文化を含めると凡そ1000年以上の歴史を持つ。
部族間の紛争が耐えなかった当時、戦士自らの闘志を奮起させるほか、敵部族を殺害した名誉ある証などとして、カリンガ族はタトゥー文化を発展させてきたと言われている。
しかし年月の経過とともにカリンガタトゥーの正式な伝承者は減少し続け、現在は”Whang-od”氏、最後の一名だけである。
Whang-od
彼女の名前は”Whang-od”(ワン・オッド)、現地では”ワン”と呼ばれている。
15歳からカリンガにてタトゥーイングを始め86年、現在は御年101歳。
今や”世界最年長のタトゥーアーティスト”として海外メディアから取り上げられている。
まだ紛争が起きていた当時、ワン氏は若くして戦士などにタトゥーイングを施していたが、終戦を迎え戦士にタトゥーイングを行う必要がなくなった今、正式な伝承者は彼女が最後の一人である。
また、彼女は御結婚をしていないため、御子孫がいないことも最後の一人と呼ばれる所以だ。
そして現在は伝統の保護活動の一環として、観光客などにカリンガタトゥーを施している。
カリンガのタトゥースタイル
こちらがカリンガのトライバルタトゥーのスタイル。
サモアやボルネオ、マルケサスを代表とする他のトライバルに見られる、”塗り”の部分が少なく、主に線のみで構成されているのが特徴の一つ。
参考記事:「7種類のトライバルタトゥー|デザインや意味」
まるで衣服を羽織っているようなトライバルタトゥーは、人間の身体の曲線美を意識させる美しいデザインである。
カリンガタトゥーの旅
そして、DOTTの筆者である私は以前、この伝統のトライバルを一目見ようと現地まで足を運び、実際にカリンガタトゥーを施してもらった事がある。
これはDOTTがメディアとして発足する前の話であるため、1年ほど前の記憶を遡りながらお話するようなことになるが、その点は予めご了承頂きたい。
また本記事では、ブスカラン・タトゥーヴィレッジへの行き方を始め、実際の現地の風景やタトゥーイングについて詳しくお話できればと思っている。
カリンガへの行き方
では先ず、秘境カリンガへの行き方について。
ルートはいくつかあるが、私が通ったルートは下記の通りである。
・マニラ→バギオ→バナウェ→ボントック→カリンガ(ブスカラン)
日本のサイトでは情報は一つとて無いのは想定内だが、海外サイトを見ても行き方などは詳しく書いていない。
現地でヒアリングした情報等がメインになるため、本邦初公開とも言えるだろう。
マニラからボントックへの向かい方
フィリピン随一の避暑地として知られるバギオ。
そしてボントックは元来、”首狩り族”が存在していたことで知られている。
マニラ(空港)からボントックまでは比較的容易で、全てバスの移動で可能ではあるが、トータル10時間程かかるため多少根気が必要になってくる。
各地バス停で行き方を尋ねれば直ぐにバスを紹介され、料金は3,000円もあればお釣りが返ってくる。
ボントックからカリンガへの向かい方
カリンガへの向かい方は主に下記の二つだが、いずれにしてもここからが難しくなってくる。
・ジプニーで移動する方法
ボントックからカリンガへは、ジプニーが運行しているため現地の方々はこれを利用する。
3-6時間に1本程と本数が少ないため事前に調べる必要があるが、料金は500円ほどと格安。
ただかなり満員になるほど人を載せており旅路は全くもって快適とは言えないため、あまりオススメは出来ない。
・バイクタクシーで移動する方法
ボントックには、バイクの隣に座席が付属している、バイクタクシーと呼ばれるものが多く走っている。
数人に交渉を行い、2,500円/1日と日本では有り得ない価格でバイクタクシーを貸し切ることが出来たため、快適に山道を進むことが出来た。
往復4時間ほどかかるため、どちらか迷った場合は絶対にバイクタクシーのチャーターを選択するべきだと思われる。
カリンガへ到着
そんなわけでブスカラン・タトゥーヴィレッジへ到着。
受付のようなところで入場料の1,000円を支払ったところで、1時間ほど山道を登る必要があると驚愕の事実を聞かされる。
現地でガイドを雇い登山、なんとか山頂へ。
山頂へ到着
山頂へ到着し、アーティストの予約を済ます。
受け付けの男性に日本からであることを伝えても、日本人は初めてということは愚か、日本がどこかなんてことも正確には分かっていなかったのは印象的だった。
100歳のアーティスト ”ワン氏”
そして100歳(当時)のタトゥーアーティスト、”ワン”氏のタトゥーイングを見に行った際、この旅一番の光景を目にする。
彼女の顧客の腕は紫色に腫れ上がり、通常のタトゥーイングでは見たことの無いほどの血が滴っていたのだ。
ワン氏の施術は当日の予約では困難であり、残念な反面、少しだけ安堵を感じてしまった自分に気付く。
何はともあれ100歳を超えても尚、タトゥーイングを続けるワン氏には改めて敬意を表さずにはいられない。
23歳の娘・グレイス
彼女の名前はグレイス。ワン氏の娘と自称していたが、年齢から推測出来る通り血縁関係はない。
当時は23歳で、17歳の頃からタトゥーイングを行っていると言っていた。
その村には11人のアーティストが在籍しており、一番若いアーティストは9歳とのことだが、こうなるともはやそれくらいでは驚かない。
流れに身をまかせ、彼女がタトゥーを担当することに。
いざタトゥーイングへ
デザインを決める
グレイスは何やら、模様が描かれた木製の板を取り出してきた。
板にはカリンガ伝統のトライバルデザインが、両面で50個以上描かれており、ここからデザインを決めるのだという。
転写
転写は丸型の蓋のような物と、一定の長さで線を引ける針金のような物を用いてデザインを描いていく。
インクは墨や灰を水に溶かした物だが、和彫りなどで用いられるインクとは違って明らかに粒子が荒い。
ワクワク感と、少しの不安感とともに、いざタトゥーイングへ。
タトゥーイング
タトゥーイングに使用するのは、木の棒に1本針が刺さっているような簡素な道具である。
くわえて、針として使用するものは金属ではなく、カラマンシーという柑橘系植物の棘(トゲ)だという。
針の使い回しはしてなかったため一安心。
余談だがこの”棘”はタトゥーイングの最後に記念でいただける。
指でインクを塗りつけ、1秒間に3回ほどのペースでカンカンと針を身体に打ち付ける。
トライバルの手彫りは、左手で針と棒を固定し、右手の別の棒で叩くような感じである。
※余談だが、”タトゥー”という言葉の語源は、このタヒチ語でこの叩く動作を表す”タタウ”という言葉に由来する。
タトゥーイングに伴う痛みは、マシンの筋彫りが”切る”ような痛みだとうするならば、これは”叩くような鈍痛”に近い。
そうして私のカリンガタトゥーは1時間ほどで完成したのである。
タトゥーの完成
一見、綺麗に線を引けているように見えるが、よく見ると一つ一つの点で構成されていることが分かる。
施術箇所の腫れ方から、タトゥーイングの過酷さを汲み取って頂ければ幸いだ。
完成後のアフターケアなどは特に無く、日光に野ざらしになりながら下山する。
この後、リンパがパンパンに腫れて、39度近くの熱が出たことは言うまでもない。
まとめ・考察
以上にて、カリンガでの「トライバルタトゥー手彫りの旅」は幕を閉じた。
結果、最新のマシンと比較するとクオリティこそ高くはないかもしれないが、誰もが経験するものではない、貴重な体験が出来たため私としては大満足の旅であった。
昨今、日本では様々なタトゥーの問題が話題になっているが、このような視点で「タトゥーとは?」というところを見つめ直すのも良いのではないだろうか。
また、手彫りについて気になる方は是非こちらも。
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では皆様も、良いタトゥーライフを!